私の通っていた高校は進学校で、周りは優秀な生徒が多く、私に勉学で自慢できるものはありませんでした。その中で、クラスでトップだったものは?まず歌唱力、そしてもう一つ、それはカルタでした。
古文の授業で百人一首大会がありました。勝ち抜き戦で、優勝戦1対1の対決に。私はその1人でした。そして接戦、残りのカルタは2枚。1枚取ったら私の勝ちという状況でした。1枚は“奥山に 紅葉踏みわけ鳴く鹿の 声きく時ぞ 秋は悲しき”、訳:人里離れた奥山で、散りしかれた紅葉を踏みわけながら雌鹿が恋しいと鳴いている雄の鹿の声聞くときこそ、いよいよ私は悲しいものだと感じられる
もう1枚は“大江山 いく野の道の遠ければ まだふみも見ず天の橋立”、訳:大江山を超え、生野を通る丹後の道は遠すぎて、まだ天橋立の地を踏んだこともありませんし、母からの手紙も見てはいません
教師が声高く読む歌 2首とも上の句の最初が“お”から始まります。第2音の“お”“く”に集中し“く”と聞こえた瞬間に手が出ました。その瞬間、優勝が決まったのです。
私が百人一首に惹かれた理由は?交通手段・通信手段も原始的な時代、愛する人にどうやって思いを伝えたのだろう。今頃どうしているのだろうなんてすごく想像力を働かせていたんだろうな、なんて考えると古代へのロマンが沸き起こるのです。
そしてすでに桜の花も終わりました。花の命はあまりに短い。この歌は万葉集で有名な一句です。
“あをによし 奈良の都は 咲く花の にほうがごとく 今盛りなり”
Like the blossoms blooming beautifully, the capital of Nara is a flower in full bloom.
天平文化咲きほこる、都の繁栄を喩えているのです。
(ピーター・J・マクミラン著 英語で味わう万葉集)
そして、これも百人一首にあります。
“花の色は移りにけりな いたづらに わが身世にふるながめせしまに”
訳:梅の花の色は同じく衰え、色あせてしまった。春の長雨が降っている間に。ちょうど私の美貌が衰えたように、恋や世間のもろもろのことに思い悩んでいるうちに。
平安初期の伝説の美女小野小町作です。
この歌のもつ滅びの美学“無常感”といったものが、日本的な美学の追求にぴったり合うのでしょうか?今の時代のさくらと比べて見て下さい。
・百人一首の訳は「ちょっと差がつく百人一首」から引用させて頂きました。