昨日紹介しました萬福寺、中国から渡来してきた仏教の一つ、禅宗が基になっています。禅とは一言で表すと“精神を統一することによって、本当の自己に徹することである”ということで、その一貫として座禅の修行があります。

西暦520年頃にインドから中国に布教にやってきただるま大師により、中国に禅宗が伝えられました。そして唐代末期、禅宗だけが生き残り、南宋時代(1127-1279)には禅の最盛期を迎えたのです。

しかし13世紀後半、チベット仏教が国教となり純粋禅は活路を求め、多くの禅僧が来日しました。そして禅が大きく日本の文化に影響を与えたのが茶でした。茶は禅宗の僧によって鎌倉時代に薬として日本に持ち込まれ、禅宗の普及と共に喫茶の文化も広まっていきました。

Zen monks were active in the official tally trade with China, and they were the carriers of many new influences that reflected the cultural achievements of China during the Sung dynasty (960-1279).
They also introduced the drinking of tea to Japan, which at first was an aid in meditation but by the late sixteenth century had become an elaborate esthetic ritual. The so-called tea ceremony, together with flower arrangement, which also derives from medieval times, were to become part of the training of every cultivated woman in modern Japan.
(エドウィン・O・ライシャワー著 JAPAN THE STORY OF A NATION)

そして形成されていった茶道、わび茶の完成者として千利休が登場します。千利休は大徳寺の古渓宗陳らに参禅して修行しました。そしてわび茶という世界観を広めます。わびとは清浄無垢の仏世界なのです。それは天地自然の摂理の中で生きてきた縄文時代以来の日本の人々の精神とも相通じるものがあり、その精神は日本人の本質を形成していると利休たちは考えていたのでしょう。

日本の美意識、茶道ではわびです。兼好法師の徒然草の有名な言葉に“花は盛りに、月は隅なきものをみるものかは。”というのがあります。くっきり見える満月よりも、少しくらい雲がかかっている月の方がいい。西洋人が美は完全なものだと考えるのに対して、日本人は不完全なものにこそ美が宿ると考えるのです。日本人の精神ってすごく奥ゆかしいですよね。

さて数年前の文藝春秋の特集に“日本人に必要な教養とは何か”“茶道を知らずして日本文化を語るなかれ”とありました。当時のローソンの会長 新浪剛史氏が言われています。お茶を習おうとしたきっかけについてです。

経営者のための勉強会で、ビジネスには直接関係しないような哲学・宗教・文化というものを学ぶ場で、データや科学的分析を重んじるアメリカ流の経営学を学んできた氏にとって、自分に足りないものに気づかされる契機になったといいます。勉強会の後、鈴木大拙の「禅の思想」を読み、それを形にしたもの・体感できるものが茶道ではないかと思い至ったとのことです。そして茶には日本文化の真髄がある。それが“お・も・て・な・し”です。季節感で客人を楽しませる、一服のお茶を前に、もてなす側ももてなされる側も心と心で対峙する、素晴らしいことですよね。

茶・生け花、自己に徹して自己を極める様々な道があります。そして「柔(やわら)」にも。1965年の日本レコード大賞受賞曲で美空ひばりさんで大ヒットしました。ここにも兼好法師の徒然草が出てきます。双六の名人の言葉として出てくる“勝たんと打つべからず、負けじと打つべきなり”それが柔の歌詞では“勝つと思うな、思えば負けよ”となっています。