京都といえば盆地、なんか水とは無関係のように思えますが、北には美しい日本海、そして由良川・鴨川が流れている。だから多様な生物の宝庫なのです。
平安時代の歌人、和泉式部は天橋立で京の都を想って詠んだ「よさの海のあまのしわざとみしものをさもわがやくと潮たるるかな」 潮たれるなんて与謝の海の海人のすることだと見ていたのに、潮たれる(泣く)のが私の日課になっている。

この度、京都水族館に行ってきました。まず入館すると、鴨川に生息する世界最大級の両生類オオサンショウウオがいました。体長150㎝の大きな体です。

これを見て、井伏鱒二さんの短編小説「山椒魚」のストーリーを思い出しました。

文庫でわずか11ページの短いものですが、含蓄深い物です。

ある岩屋に山椒魚がいた。大きくなりすぎて岩屋から出られない。うつうつと日々を過ごしているうちに悪い性質が出てきた。ある時、蛙が岩屋に入ってくると、山椒魚は自分の体で入り口を塞いで、蛙を閉じ込めたのです。一生涯ここに閉じ込めてやる、自分と同じ運命にするということに喜びを感じたのでしょう。

1年が過ぎて、2人はずっと言い争いをした。しかし、2年が過ぎて蛙が先に死にそうになった。山椒魚は「お前は今どう思っているのか」と尋ねた。蛙は答えた。「今でも別にお前のことを怒ってはないんだ」この最後の一言は印象的です。なぜ蛙は怒らなかった?

物語の中で山椒魚の言葉があります。「ああ、寒いほど独りぼっちだ!」そして続きます。注意深い心の持ち主であるならば、山椒魚のすすり泣きの声が岩屋の外にもれているのを聞き逃しはしなかったであろう。この注意深い心の持ち主は蛙だったのでしょうか?蛙の山椒魚の運命に対する哀れみを受け取ることができます。

それに引き換え、水族館のオオサンショウウオは皆の注目を浴びて幸せそうに見えました。

さて、別の水槽では大きなエイが小さな魚群と共生していました。でも、エイが大きなひれを一振りすると魚群は一瞬のうちに散り散りに(インスタを見て下さい)。やはり海の世界でも弱肉強食がルールとしてあるのでしょう。
エイは日本海に生息しているようです。ミサイルが着弾する物騒な今、海の多様な生態系を守っていきたいと切に思います。