この休日、姫路市にある300mの高さの山(書写山)の上にある円教寺を訪れました。運動を兼ねて岩道を登山して本尊についた時、その壮観さに圧倒されました。さすがに西国三十三所のうち最大規模の寺院で、西の比叡山と呼ばれる所以でもあります。中世には比叡山・大山とともに天台宗の三大道場と称された巨刹で、京都から遠い土地にありながら、皇族や貴族の信仰も厚く、訪れる天皇・法皇も多かったようです。性空上人という名高い僧侶によって966年に創建され、約1000年の歴史をもちます。

さて、宮廷歌人としてその名を馳せた和泉式部は晩年この世の無常を思い、来世に不安を感じていた。そこで女官2人を連れ立って円教寺へ旅立った。そして円教寺の門前についた和泉式部たち、しかし寺の門は閉ざされている。和泉式部は次の歌を繰り返し詠んで開門を請うた。

“暗きより 暗き道にぞ 入りぬべき はるかに照らせ 山の端の月”

和泉式部の歌に感じ入った性空上人は、門を開け、和泉式部らと面会するのです。

さて皆さんお馴染みの百人一首からです。
和泉式部は恋多き女性で4.5回の結婚歴があります。晩年の不安を詠んだ歌として有名です。

“あらざらむ この世の外の 思ひ出に 今ひとたびの 逢ふこともがな”

私はまもなく死んでしまうでしょう。せめてあの世へ持って行く思い出にもう一度あなたにお会いしたいのです。

和泉式部には小式部内侍という娘がいて、ある日歌詠みの大会に呼ばれました。歌合わせで負けることは不名誉とされており、有名な歌人を母に持つ小式部には大きな期待がかかっていました。その期待に応えての歌がやはり百人一首で有名な一句です。

“大江山 いく野の道の 遠ければ まだふみもみず 天の橋立”

大江山を越えて生野へと辿っていく道が遠いので、私はまだ天の橋立を踏んでみたこともありませんし、母からの手紙も見ておりません。

この時、母和泉式部は丹後にいました。中納言に小式部はこうからかわれました。“歌の名人であるお母さんに、かわりに歌を詠んでもらうために遣わした者は帰ってきましたか”それに対する答えでもありました。

Enkyo-ji, which was founded by Soku about 1000 years ago, is situated on the top of Mt.Shosa, and is worshipped by many visitors.

円教寺に話を戻します。

山頂から眼下に広がる姫路の街、姫路城を中心として栄えました。1609年に建築されたものです。村田英雄さんの歌でも有名です。

「白鷺の城」

花の霞を 翼にだいて
野に舞いおりた 不死鳥か
ここに夢あり 播州平野
はるかみはらす 白鷺の城