私は実はアメリカ留学より、ドイツ留学がしたかった。それは、文豪森鴎外が軍医として4年間ドイツ留学をしていた事実、それに対する憧れのようなものがありました。
今回は、鴎外と短編小説「高瀬舟」のお話しです。鴎外が医師として見つめた安楽死の問題、わずか15ページの紙面には海よりも深い論点が濃縮されています。
私が外科医になった頃癌は不治の病で、癌のいきなりの告知はほぼタブーでした。医療従事者、家族はどのように患者さんに真実を伝えていくか悩みに悩んだものでした。自分は助からない、死が目前に迫っているというのを受け入れるのには相当な時間がかかるのです。

まず否認(自分が死ぬということはないはずだ)、怒り(なぜ自分がこんな目に合うのか)、取引(悪いところは全て改めるのでなんとか命だけは助けてほしい)、抑鬱(運命に対し無力さを感じ失望する)、そして受容(自分が死にゆくことを受け入れる)の5段階を経ねばならない 「死ぬ瞬間」 キューブラー・ロス著

だからとにかく延命治療で時間を稼ごう。結果、苦しまれた患者さんがいかに多かったことでしょう。助かる望みが皆無で見るに忍びない程苦しまれている方、それでも人工呼吸器に繋がれている。ここで呼吸器を外したら、積極的安楽死で殺人になるのかな、なんて考えながら…。
話を高瀬舟に戻します。高瀬舟は京都の高瀬川を上下する小舟である、この有名な書き出しから始まります。舟は罪人を大阪に護送する、すなわち島流しのために使われました。お金を持たない喜助とその弟、しかも弟は病弱でした。ある時、弟がカミソリを喉に刺して自死を図るのを見た。そこで喜助はどうしたか?自殺を幇助したのです。いわゆる積極的安楽死に近いものです。そして、殺人罪で島流しの刑になります。護送の役をする同心と呼ばれる庄兵衛との舟の上での会話で物語は進みます。まず、庄兵衛は殺人をしたはずの喜助が安らかな顔をしているのを不思議に思います。すると、病弱な弟が自殺に失敗して苦しんでいた所を死なせてやったので後悔はしていない、との答えが返ってきます。庄兵衛は喜助のしたことは罪なのか、と心に疑いを残したまま舟をこぎます。教養がない民だから、悪意が全くなかったのに人殺しの罪にさせられてしまったとの声も。
鴎外はそう容易に杓子定規で決まってしまう問題ではない。病気で苦しんでいる人がいる時、いつか死んでしまうなら苦しみを長引かせずに死なせてやりたいという情が必ず起こる。そして従来の道徳は苦しませておけと命じているが、医学界には違った考えがあると語っています。安楽死・尊厳死という言葉のなかった時代、鴎外はユウタナジイ(安楽死)の考え方を紹介しているのです。

Enthanasia is the practice (illegal in most countries, including Japan) of killing, without pain a person who is suffering from a disease that cannot be cured.