京都に1977年から住んでいる米国メリーランド州生まれのアレックス・カー氏、最も有名な著作“美しき日本の残像”、そして2016年には“もう一つの京都”という著作を発刊されています。茶道等を実践されながら日本人の心をさぐる、“ガイドブックに乗っていない京都を伝える”という思いが強いようです。
他国にはない日本たるもの、それはまず門です。有名な寺院を見に訪れ、到着すると、そこには寺院が見当たらず、門があります。パリにある素晴らしい大聖堂を見に行っても門はありません。
日本のお寺の門は町中にあっても山門と呼ばれ、この門は世俗の世界と仏道の世界の境にある大切な門なのです。そしていわばそのお寺の象徴の意味合いを持ちます。中国の寺の門は大きくて重くて、壁がめぐらされて鍵のかかるドアがある、でも日本では必ずしもそうではなく、京都の重要な門の多くは壁がなく、ドアもなくぐるっと歩いてまわれます。
東福寺 三門
そしてこの門が神道の神社にある鳥居に行き着いたのです。
平安神宮
アレックス・カー氏はEnglish Journalのインタビューに答えてこう言っておられます。
京都の素晴らしさは今なお息づいているということです。単なる歴史的遺跡ではない。例えば中国には北京の宮殿(紫禁城)等、堂々たる建造物はありますが、宗教はもうありません。皇帝ももういない。それらを支えた社長構造、芸術的感受性、すべてがもうないのです。日本ではそれらが今でも生きている。茶庭は眺めるだけでなく、中でお茶を味わうためにあります。寺院は単なる世界遺産のようなものとして存在しているのではありません。これらの寺院では、人々が礼拝を行っていますし、禅を通じて悟りを開こうとしている。浄土仏教などから精神的充足を得ようとしている。これらは実在する探究の場、啓示の場なのです。
紫禁城
Those tea gardens are there not to be looked at but to do tea in. Uh, the temples aren’t there just as some kind of world heritage, people are worshiping in these temples.
The these are actual places of seeking and of inspiration.
(English Journal)