西国三十三所巡りで訪問した三室戸寺、その宇治市に全く違う雰囲気のお寺があり、立ち寄りました。黄檗宗大本山萬福寺です。
1654年中国福建省から渡来した隠元隆琦禅師が1661年に開創した日本三禅宗の一つ、黄檗宗の大本山なのです。
he founder of Mampukuji was a Chinese Zen Master, Ingen (Ch. Yin-yuan, 隠元禅師 , 1592-1673), who, at the age of twenty-nine, entered the temple Mampukuji (Ch. Wan-fu-si) on Mt. Obaku (Ch. Huang-bo) in the Chinese province of Fukien (Fujian), eventually becoming its superior. Having been invited to Japan, he arrived in Nagasaki in 1654.
Master Ingen spread the Dharma, the true teaching of Rinzai, in Japan, attracting many Japanese monks who came and studied under him.
その儀式作法は中国明代に制定された佛教儀礼で行われ、伽藍の配置や堂舎の建築様式は中国の明朝様式が取り入れられています。また、最大伽藍の大雄寶殿は日本では唯一最大のチーク材(東南アジア原産の高級木材)を使った歴史的建造物で大変重要かつ貴重なものです。
そして隠元禅師とともに伝来した中国の先進文化は、建築・文学・音楽・書道・絵画・彫刻、さらに印刷・医学・飲食に至るまで多岐にわたり、これらは黄檗文化と呼ばれています。飲食としては普茶料理があります。中国風精進料理で、風味豊かで見た目も鮮やかで美しく、栄養面にも優れています。
今回は時間の都合で頂けませんでしたが・・・。
そして目についたのが弥勒菩薩(布袋(ほてい))坐像です。七福神の一つ布袋(ほてい)尊です。他に大黒天・毘沙門天・恵比寿天等があります。布袋(ほてい)さんは七福神の中で唯一実存していたとされる伝説的な仏像です。大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。
布袋(ほてい)さんはいつも大きな袋を担いで国中を旅していた。布袋(ほてい)さんが各地を行脚していく先々では、たくさん貧しい人々に出会います。その度に彼はその人たちに救いの手を差し伸べ、袋の中から必要な物を与えました。救われた人たちからのお礼にと頂いた物などは、また袋の中に入れ、再び行脚の旅に出るのです。これをくり返していくうちに袋はどんどん大きくなっていきました。布袋(ほてい)さんの袋の中には人々の感謝と慈悲の心が詰まっているのです。
日本のシンガーソングライター財津和夫さんの歌に「切手のないおくりもの」という曲があります。財津和夫さんはチューリップのリーダーで「心の旅」などのヒットソングで知られています。布袋(ほてい)さんの袋の中には切手のない贈りもので詰まっているのでしょう。