いつ何が起こっても不思議でないこの世の中、我が国にも戦争の足音が聞こえてきそうな状況になってきています。私たちはひたすら戦争反対、ロシアの暴挙に対して抗議の声をあげていくしかないのです。
さて私自身は多くの方が来院して下さり、長時間待って頂き、「すみません。長い時間待って頂いて。」と申し上げると、「先生こそお体気をつけて下さいね。」と。こんな有難いことはありません。涙です。だから今この瞬間を生かせて頂いていることに感謝して生きていこう。そんなことをいつも自分に言い聞かせている今日この頃です。
時々、ごちそうも頂いています。先日はクエ鍋を。脂がのって美味しかったです。インスタグラムを見て下さい、ここでもいつも思うのです。もしかしたらこれが最後の晩餐かなって。

We enjoyed longtooth grouper pot. Its flesh is rich in fat, which makes it very delicious. I definitely will choose kue pot as one of the top choices for my last supper.

 

イエスがエルサレム神殿を頂点とするユダヤ教体制を批判したため、死刑の権限のないユダヤ人の指導者たちによって、その権限のある支配者ローマ帝国へ反逆者として渡され、公開処刑である十字架に磔となって処刑された、その前夜の晩餐です。イエスは処刑されてこの世を去った。

さてここでアダムとイブの話です。
神様が天地を作り、動植物を作り、そして最後に作ったのが人間です。すなわちアダムとイブです。神様はまずアダムを作りました。そして人がひとりでいるのは良くないということでイブを作りました。そしてアダムとイブは苦労も憂いもない楽園で何不自由なく暮らしていました。神様から課せられたルールはただ一つ。この園の中央にある樹からは実を食べてはいけない、食べたら死んでしまうよ。でも二人は食べてしまう。

悪魔の化身である蛇がイブをそそのかし、“神様が言ったそうですが、この実を食べても死にません。むしろ賢くなって神様のようになれます。”ついにイブはこの実を口にしてしまいます。そしてイブに勧められてアダムも。

すると二人は急に自分たちが裸であることを恥ずかしく思い始め、イチジクの葉で腰巻きを作って身につけました。羞恥心はこのように“罪=神様のコントロールから外れること”によって生まれたのです。

神様は実を食べたことを咎めます。するとアダムは“イブが勧めたから食べたんです。”イブは“蛇が勧めたから食べたんです。”と責任転嫁が始まります。これも人間社会によくある罪からくる行いなのです。

二人はエデンの園から追放されます。神様はアダムには“食べるためには汗を流して働かねばならない”イブには“子供を産むには苦しまなくてはならない”という罰を与えました。

旧約聖書のイザヤ書にあります。
“イエス様が十字架で死なれたことは神様の救いの計画によるものであった”
人間は自分自身の罪深さのゆえに、永遠の死という罰を受けるのが当然の存在でした。しかし神様は人間の罪と罰を肩代わりさせるためにご自分の御子を人としてこの世に遣わし、十字架で死ぬように計らいました。神様はすべての人間の罪を帳消しにし、その裁きから救い出してくれたのです。

平尾昌晃さん作曲の布施明さんが歌った「愛の園」という歌があります。この中ではアダムとイブは二人愛の園で愛し合って暮らしています。だから本来とは少し意味合いが違っていますね。