私のふるさとはどこでしょう?
唱歌「ふるさと」のように“うさぎ追いし かの山 小鮒釣りし かの川”のようなふるさとは私にはない。京都の河原町今出川で生後2~3年過ごしたものの、その後は東京の練馬区で育ちました。東京は私の中ではふるさとになり得ないのです。

本当のふるさとは?魂がそこにある、そこで魂が叫ぶような場所だと思うのです。私が米国に留学していた時、先輩がジョージア州アトランタのエモリー大学に留学していたこともあり、アトランタを訪れました。米国南部の州で、人種差別撤廃を求め、非暴力の闘争に生涯を捧げたマルティン・ルーサー・キング・ジュニアの出身地でもあります。そこでジョージア州の州歌を聴きました。アフリカ系アメリカ人で盲目でありながらソウルを叫ぶ有名なレイ・チャールズ氏が歌っていました。

 

アメリカの暗い過去が心にヒットするようで、深い感慨を覚えました。

さて私の心臓外科医としてのキャリアは、事実上イリノイ州シカゴで始まりました。事実上と申しますのは、神戸大学病院でも研修を受けさせて頂きましたが事務的な雑用ばかり、手術に参加しても第3・第4助手ばかり、進歩のしようがなかったのです。
神戸大学病院の心臓手術は当時週3~4例、イリノイ州立大学では1日10例と大きな大きな症例数の差がありました。
昼は臨床、夜は実験、気がつけばあと25・6分で朝4時、まさにロックバンドシカゴの「長い夜」です。

Sitting cross-legged on the floor
25 or 6 to 4

ああ、あと3時間で教授の回診が始まる。
こんなストレスに耐えるために自分の体に負荷をかけたのもその頃です。マイナス10℃の寒さに耐えるために冷水を浴びて外へ出て行く、私にとっては比叡山の修行のようなものでした。

先日私の米国在住の知人の方から、イリノイ州のデザインが描かれたマグカップを頂きました。その方はピッツバーグでの学会発表に行く途中、シカゴに立ち寄りこのマグカップを購入されたとのことです。スターバックスのBeen There Seriesの企画で、全世界でそこでしか買えないマグカップを販売しているとのことです。
頂いたマグカップでビールを飲みながら、あの苦しかった日々が今は懐かしさでしかない。まさにわが心のイリノイなのです。
そして私が留学した時は、日本で心臓移植再開の機運が高まっていました。教授に言われていました。「中村君、今後心臓移植は君に任せようと思う。しっかりアメリカで勉強してきてくれたまえ。」

当時、心臓移植の中心は米国カルフォルニア州のスタンフォード大学でした。世界的に著名なシャムウェイ教授のもとに研修中の医師が訪問する、強烈な死ぬほどの緊張感の中、数日間研修しました。その中でなにもないかのような日常がある、サンフランシスコのゴールデンブリッジをみながら思いました。ああ、私の第2の故郷かなって。