今の我が国、全てが支離滅裂になってきています。

COVID-19の爆発的流行下、国は不要不急の外出を控えるようにとの通達を出しています。その中で、政府の新型コロナ対策分科会の尾身茂会長は、19日 コロナ対策を繁華街への人出を減らす“人流抑制”から飲食店などでの“人数制限”へシフトすべきだとの考えを示しました。“今回は何でもやめるという、ステイホームなんて必要ないと思う”これに対して小池知事は、“国と整合性をとって頂きたい”と反応しました。

その小池さん、“感染は止める、社会は止めない”と。だったら早くやって下さいと思うのです。東京都は今から蔓延防止等重点措置の適用が施行されるのです。

さて戻ります。人流抑制はしなくていい、人数制限をすべきという、申し訳ないけれど意味不明の思考です。

五木寛之さんの著書に「大河の一滴」というのがあります。人は小さな一滴の水の粒にすぎないが、永遠の時間に向かって動いていくリズムの一部なのです、と。だから皆が外出する一滴一滴が集まって大河になる。これは大きな人流です。感染拡大の大きな原因となるのは自明の理でしょう。

“大河の一滴”は五木さんのマイナス思考がその背景にあります。ただ今のコロナ禍、プラス思考はそう続かない。頑張ることにはもう疲れてしまった。そういう方が多い中、皆様のお力にもなっているようです。

“いまこそ人生は苦しみと絶望の連続だと諦めることから始めよう。”
“傷みや苦痛を適しして戦うのはよそう。仏陀も親鸞も究極のマイナス思考から出発したのだ。”
“人はみな大河の一滴である。そして母なる海に抱かれて他の水滴と溶け合い、やがて蒸発し空へ昇り、再び地上へ。私たちは見えない大きな力に生かされている。”

自分のちっぽけな力だけではどうしようもない、運命に任せて生きていこうという意味なのでしょう。

Each and every individual, is just a drop of large stream which flows into the ocean. We have nothing to do but to leave our lives to our own destinies.

写真は父なる河 ドイツのライン川です。

そして川の流れを人生に例えた歌 昭和から平成に時代が変わったまさにその時発表されました。
「川の流れのように」です。
その話は明日させて頂きますね。