私の中学校1年の時の道徳の授業は、吉野源三郎著の「君たちはどう生きるか」という名著を使ってのものでした。この小説からはあらゆる世代の人たちが、生き方の指針となる言葉を見いだしているのです。1937年人々の生活が大きく変わろうとしている時代に日々自分の中の疑問と向き合い、人として成長しようとしたひとりの中学生とその叔父さんがいました。

少年はみんなから“コペル君”と呼ばれています。なぜコペル君?コペル君がデパートの屋上で“本当に人間って分子なのかも”と言ったとき、叔父さんは感動します。コペル君もそういう物の見方ができるようになったんだ。コペル君が広い世の中の一分子として自分を見たということは決して小さな発見ではない。

15世紀ポーランドの天文学者コペルニクスは“それまで太陽や星が地球のまわりをまわっているとみんな、目で見たままに信じていた”その見方を覆したのです。それがコペルニクスの地動説なのです。当時としては思い切った考え方で、地球の方が太陽のまわりをまわっているというもので、それによって今まで説明のつかなかった色々なことが綺麗な法則で説明されるようになったのです。

そして町の豆腐屋の長男で、家業を手伝いながら幼い弟や妹の面倒を見ている浦川君といじめっ子の山口君が登場します。貧乏な家庭の浦川君はいじめのターゲットにされていた。豆腐屋の倅でお弁当のおかずがいつも油揚げだったことから山口君は蔑むように“アブラアゲ”と呼んでからかった。クラスメートはみんな、“いじめられている浦川君を助けたい”というのが本音だった。しかし、山口君には乱暴な男兄弟がいた。“文句あるやつは兄貴に言いつけてやる!” クラスメートは怯え、抗うことができなかったのです。

山口君のいじめについに怒った北見君、山口君に飛びかかってケンカになります。結局、浦川君が止めに入ってケンカは終わります。山口君のいじめ事件後、浦川君は学校をずっと休んでいました。コペル君は家を訪ねてみます。その豆腐屋で油揚げを揚げている浦川君に出会ってびっくりします。従業員が病気になってしまい、お父さんも金策に出ていて、人手が足りないせいで学校を休んでいたのです。

叔父さんの言葉です。自分が消費するものよりも、もっと多くのものを生産して、世の中に送り出している人と、何も生産しないで、ただ消費ばかりしている人間と、どっちが立派な人間か、どっちが大切な人間か。浦川君はこの世の中で、ものを生み出す人の側に、もう立派に入っているじゃないか。浦川君の洋服に油揚げの匂いが染み込んでいることは、浦川君にとって決して恥になることじゃない。

私の幼少の頃、近所には豆腐屋さんが何軒かありました。そして私達の生活には欠かせないものでした。そして当時は今のように冷蔵庫が普及しておらず、パックする技術も無く、豆腐屋さんは朝2時頃から、みんなの朝食にあうように仕事を開始していました。冬には冷たい水を使いながら。

ご存知のように豆腐は健康食です。そして納豆も。現在メジャーリーグで大活躍の大谷翔平選手も納豆が大好物です。このようにキツい仕事にもかかわらず、そんなに見返りがない。でも町の豆腐屋さんは人々の健康のために息を切らして頑張られていたように思います。