6月29日朝のラジオ番組で日本の音楽評論家、そして作詞家・翻訳家でもあられる湯川れい子さんがビートルズの日にちなんで、1966年6月29日ビートルズの来日した時の日本中の大騒動ぶりを回想し、語られていました。

そしてこの人がいなければビートルズは誕生していなかったといわれる人についても。それはアメリカの大スター、エルヴィス・プレスリーです。“キング・オブ・ロックンロール”とも称されていました。そして本日7月1日、エルヴィスの人気絶頂の中、42歳の若さで急遽した生涯を描いた伝記映画「ELVIS」が公開されます。無名時代からスターになるまでのエルヴィス役に大抜擢されたオースティン・バトラー氏は公開前に来日し、一度も来日したことのなかったエルヴィスについて、“彼の日本に来たいという夢を実現することができた”と語っていました。

エルヴィスは1935年ミシシッピ州テューペロの小さな家で生まれた。非常に貧しい幼少時代を過ごし、11歳の誕生日にはライフルを欲しがったが、当然母親に却下され、代わりに与えられたのがギターであった。これを機に自宅の地下洗濯部屋で練習し、音楽に傾倒していったのです。そして13歳の時、テネシー州のメンフィスに引っ越した。メンフィスは非常に貧しい黒人の労働者階級が多かったため、そのような環境の中で黒人の音楽を聴いて育ったのです。そのことが後にエルヴィスの音楽スタイルに影響したのでしょう。黒人の音楽であるブルースやリズム&ブルースと白人の音楽であるカントリー&ウエスタンを融合したのがエルヴィスの音楽であると言われています。それは深刻な人種問題を抱えていた当時のアメリカでは画期的なものでした。

メンフィス近郊で黒人の音楽が白人系の音楽と出会い、混ざり合って新しい音楽が生まれた。それがロックンロールで、エルヴィス・プレスリーの大きな功績ともいえるものなのです。

黒人奴隷制度が撤廃されて、自由の身になったものの、差別と重労働はなくならなかった。しかし1日の終わりにわずかな自由時間ができて、その時間に無くならない差別、それによる憂鬱、本能、明日への希望を歌ったのが“ブルース”なのです。黒人の音楽が白人に聴かれるようになり、黒人と白人の壁が低くなっていったのです。

そしてもう一つのエルヴィスの影響は?
アメリカやイギリスをはじめとする多くの若者をロックンロールによって熱狂させ、ファッションや髪型などの流行も若者達の間に芽生え、若者文化が台頭していきました。また、貧困からスーパースターに駆け上ったアメリカンドリームを若者達はみるようになったのです。

さて、昭和歌謡の中で育った私にとって、ロックンロールのリズムをとることは難しい。だからエルヴィスの歌の中でバラード調の「ラブミーテンダー」「愛さずにはいられない」等を好んで歌っていました。そしてこの歌も私の好きな歌です。皆さんがよくご存知のメロディーが出てきます。「グローリーグローリーハレルヤ」です。この曲はアメリカの“南部、北部、黒人”の代表曲を一つにしたものです。デキシーランドとはアメリカ南部のことを言います。「アメリカの祈り」です。

「An American trilogy」

Oh, I wish I was in the land of cotton
Old things they are not forgotten
Look away, look away, look away Dixieland

Oh, I wish I was in Dixie, away, away
In Dixieland I take my stand to live and die in Dixie
‘Cause Dexieland, that’s where I was born
Early Lord one frosty morning
Look away, look away, look away Dixieland

Glory, glory hallelujah
Glory, glory hallelujah
Glory, glory hallelujah
His truth is marching on

ああ 綿畑の広がる地に帰りたい
古き良き 忘れられぬ故郷に
見よ はるかはるか彼方のデキシーランドを

ああ デキシーに帰れたらなあ
私の生まれた土地
ある寒い朝 私はデキシーで生まれた
はるか彼方のデキシーランド
デキシーに戻り デキシーで死にたい
はるかはるか彼方のデキシーランド

グローリー グローリー ハレルヤ
主に栄光あれ
神の真実がやってくる
神の真実がやってくるのだ