昨日言いました。何故政治家の先生方は女性差別発言がとめどもなく出てくるのでしょうか?やはり、それは上から目線、その発言が意図的であろうがなかろうが、無意識に下駄を履かれているのでしょう。そう、見えない下駄、ガラスの下駄です。
女性やマイノリティが、低い地位に甘んじることを強いられている不当な状態をキャリアアップを阻む見えない天井になぞらえた比喩表現がガラスの天井です。
ではガラスの下駄とは?職場で男性が(無意識的に)享受している特権を指すのです。その特権の一つとして“家庭を顧みずに働きまくる権利”があります。イクメンという言葉が出てきていますが、未だに取得率は2割以下で、そのしわ寄せを受ける女性のキャリアは中断を余儀なくされ、忙しい仕事と育児を両立することが必要となる管理職への昇進意欲は低くなるのです。
ジェンダーギャップの解消を目指すのであれば、まず企業は男性の下駄を脱がし、フェアにキャリアを歩める状態を作ることが本質的な施策となるのです。
さて、全国紙初の女性政治部長、佐藤千矢子氏の著書「オッサンの壁」を読ませて頂きました。日本一の“オッサン村”永田町の非常識政治、メディアの実態が書かれています。男性優位主義の政治の社会に果敢に政治記者として挑んだ血と涙の御苦労話が紹介されていて、興味深いものがありました。以下少し紹介させて頂きます。
総理秘書官の抗議“首相の外遊に女性記者を同行させるとは何ごとだ”夜回り取材時、議員宿舎のリビングで、いきなり抱きついてきた大物議員、空恐ろしかったひと言“女性は声が高いから懇談の場の空気が乱れる”佐藤氏はオッサンの定義として単に男女の性別ではない。男性でもオッサンでない人は大勢いるし、女性の中にもオッサンになっている人たちはいると言われています。
Some politicians are unconsciously putting on glass getas, which could lead them to discriminatory remarks against women and minorities.
さて、吉田拓郎さん作詞・作曲の「我が良き友よ」1975年にかまやつひろしさんが歌っています。あの頃はやっぱり男性社会だったんでしょうね。女郎屋(遊女屋)通いを自慢する時代だったんです。