私が高校2年生の時でした。全国夏の選抜高等学校野球大会は甲子園球場で熱闘が繰り広げられていました。その決勝戦は、まれにみるがっぷり四つ、青森県の三沢高校対愛媛県の松山商業高校の試合でした。その試合、三沢高校の太田孝司投手は相手の井上明投手と延長18回を戦い抜いて0-0の引き分けとなった。太田投手は262球、井上投手は232球を投げ抜いたのです。そして再試合となった2日目も全イニングを投げた。結果は2-4で三沢高校は敗戦し、連続45イニングを1人で投げ抜いた熱投も実らず、準優勝に終わりました。

その後は、ハンサムな容貌で女性ファンに「コーちゃん」という愛称で呼ばれ、プロ入りします。“甲子園球児のアイドル”の元祖とも呼べる存在でした。でもプロ入り後はそんなに輝く成績を残しておられないと思います。

昭和30年~40年はカネやんこと金田正一さん、鉄わんこと稲尾和久さんなど連投多投で伝説的となった投手がいました。腕が折れるまで投げるなど。それが美学だったのです。

稲尾和久さん

でも少しずつ考えが変わり、最近では?
今、ここに令和の怪物が登場します。千葉ロッテの佐々木朗希投手です。史上最年少の20歳で、完全試合を達成し、さらに13者連続三振の新記録も樹立しました。そして次の試合8回までパーフェクト投球を続けたが、球数が100球を超えていたこともあり、井口資仁監督は降板させたのです。目先の勝利を求めつつ、選手個人の将来にも目を向ける。
2019年夏の岩手大会、佐々木投手を擁した大船渡高校監督の國保陽平さんは強豪花巻東との決勝戦で佐々木投手を登板させなかった。そして甲子園への夢はたたれた。國保さんが明かした登板回避の理由はシンプルでした。“故障を防ぐため、です” 試合後、スタンドから心ない野次が飛ぶ、「本気で甲子園さ、行きたくねえのか!?」

佐々木投手の育成に携わってきた野球指導者たちは“チームの勝利”と“佐々木の将来”を天秤にかけて、後者を選択してきたのです。
逆に言えば、みんなが佐々木投手の将来に大きな大きな夢を託しているのかもしれません。
高校卒業を迎える段階にあっても、佐々木投手の身体には骨端線が残っていたということは、まだまだ成長している途中だったのです。その状況で身体を酷使したら骨折もあり得たでしょう。その意味でも令和の怪物くんはよき指導者に巡り会えたのです。

Team helps put hurler Sasaki on perfect path
Kokubo had always thought about creating an environment that would limit Sasaki from throwing at maxim um effort, something likely to increase the risk of injury.
(The Japan News)