神戸市内も桜満開になってきました。桜をみて思うのは平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての日本の武士、その後出家して僧侶となった西行法師です。出家しても決して歌の道を捨てなかった。
その歌集は山家集、自然と人生を詠い、無常の世をいかに生きるかを問いかけているのです。
“願わくは 花の下にて 春死なん その如月の 望月の頃”
春の満開の桜の下で死にたいと強く願っています。
西行が理想の死についてうたいあげているこの句から強い思いが伝わってきます。その如月の望月の頃は釈迦入滅の日、陰暦2月15日でした。実際西行は2月15日を1日過ぎた2月16日に亡くなっています。願いどおりでした。
今、私達は未だかつて経験したことのない少子高齢化社会に突入しています。数年前に国立社会保障人口問題研究所が人口動態の将来指針を発表しています。その中で、“一人暮らしがいろいろな形で増大してくる。悲劇的な状況だ。これを救わないと日本の国が滅びる。”でも人口が減少すればおのずと一人で生きる領域が時間的にも空間的にも広がるのです。
だから私達は一人で生きる覚悟を持って、新しい人生観や哲学、倫理観を持つことが必要になると思うのです。年金だけでは生きていけないと言われている今、一人で生きる貧しい老後を覚悟しなくてはならないのでしょう。
ドイツ文学者中野孝次氏の「清貧の思想」 これは貧乏だけど心が清らかで行いが潔白である、余分を求めず、貧乏に安じていることを説いておられます。
さて西行の後に出現した鴨長明、歌人として活躍したのち50歳で出家して、京都の山中に隠棲し、62歳で生涯を終えました。大地震や台風、大火事や飢饉といった災厄を自ら体験しました。
人生の無常を見事な文筆で綴った随筆が「方丈記」なのです。
“ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず”
鴨長明は晩年隠遁生活に入った京都の日野の里方丈庵、そこで孤独な生活を送りました。
宗教学者 山折哲雄氏は方丈庵のあった場所を訪れました。“よくこんな場所で我慢して、あの生活をしていたな”と思われるほどの所だったようです。すっと脇を見たら、深く削り取られたところに渓流が流れたところがありました。“あっ、この渓流があることで方丈庵は成立していたんだ”と気づかれたようです。
そして方丈庵は2つの空間からなっている。一つは芸術空間でびわと琴を弾きながら歌を作ったり、文章を書いたりする空間で、もう1つは宗教空間で経典を読んだり、念仏を唱える場所でした。
西行・鴨長明、そして良寛さん、みんな貧しい生活の中、一人死んでいった。ただ皆に共通していたことは歌があり、芸術の心を持っていたことです。
今後私達も一人で生きることが多くなるでしょう。その時に必要なもの、それは心の糧ともなる教養かと思うのです。
In the graying society, it is not unusual that we are going to dying lonely.
We need to aquire something like a culture
for a peace of mind.
写真は京都下鴨神社にある方丈庵の復元です。
昭和の経済成長の時代、ひとりぼっちでも悲壮感はなかった。でもこれからの時代、どう生きるか?西行・鴨長明から学ぶ時が来ているのかもしれません。