五木寛之さんの「大河の一滴」 昨日申し上げましたように、個人個人は大河の一滴のようなもの、私は人の運命は変えられるものではないのだと解釈しました。

さて、再び紫那典さんの「平成のヒット曲」からです。昭和の時代が終わったのが1989年1月7日、昭和天皇が崩御されて新しい元号が“平成”に決定したのです。“平成の我 新海に流れ着き 命の歌よ 穏やかに・・・”翌日1月8日に昭和の大歌手美空ひばりさんはそう詠みました。そして1月11日シングル“川の流れのように”が発売されました。そしてこの歌がひばりさんの最後の歌になりました。

“知らず 知らず歩いてきた 細く長いこの道” まさしくひばりさんの自分の人生を振り返る歌として私たちの記憶の中に強く残るであろうと思います。

多くの栄誉をつかんできた方なのに、でも細い道?病がすでに体を多く蝕んでいた頃の美空さんの言葉です。雑誌「鳩よ」の1989年11月号からです。

“私だって人間だもの さびしい時だってある
悲しくって大声で叫びたい時だってある
しかしそれは私には許されない
なぜって私は「ひばり」だから
いつも私はひとりぼっち“

そうなんですよね。「川のながれのように」の作詞は、放送作家秋元康さんが手がけたのです。この歌の詞をみたひばりさんは“人生って川の流れみたいよね。細い川があったり広い川があったり、曲がりくねっていたり、真っ直ぐだったり、流れが速かったり、遅かったり、でも結局みんな同じ海へ繋がっているのよね”と言われたそうです。

おそらくご自分の運命を悟り、覚悟をされていたのでしょう。
そして1989年6月24日この世を去られたのです。

私も今、川の下流を流れています。人生の中で一番色々なことがしたいと思っている、まだまだ知らないことが多すぎるのです。そう思いながらも遅かれ早かれ大海の一滴になるのだろうな。できれば煌めく群青のような海であってほしい、そんなことを願っています。

Hibari was one of the most stellar singer whose memory still remains deeply in our memory .