私は野球漫画が好きでした。
まずは1959年雑誌少年にて連載が開始されたわちさんぺいさんの「ナガシマくん」 入団2年目の長嶋茂雄選手の大活躍と人気にあやかった愉快なものでした。

ちばてつやさんの「ちかいの魔球」も面白かった。これをヒットにして「巨人の星」が誕生したともいいます。そして野球漫画の第一人者といえば?やはり先日お亡くなりになった水島新司さんでしょう。ご冥福をお祈り申し上げます。

水島さんは南海ホークスの大ファンで、そのホークスには世紀の大捕手野村克也選手がいました。野村選手は常日頃口にされていました。“花の中にはヒマワリもあれば、人目につかないところでひっそりと咲く月見草というものもある。王や長嶋はヒマワリ、俺は月見草。”人気のないパ・リーグの少ない観客の中でも一生懸命やってきた意地が600号以上のホームランに繋がったのです。“華々しい場所で野球をやる王・長嶋の存在があったからこそ、俺はここまでやれた”とも。

水島さんの大ヒット作の1つに「ドカベン」があります。高校3年生の秋、主人公の明訓高校の山田太郎(ドカベン)も捕手でした。私の勝手な解釈ですが、水島さんは日の当たりにくい、でも重要かなめな捕手というポジションに注目を集めようとしたのかもしれません。

さて、強肩・強打の捕手として1年目からレギュラーに定着、新人王を受賞したのが田淵幸一選手です。

大学生の頃、1973年5月9日、私は友人と甲子園球場で阪神対巨人のナイターを観戦していました。当時、ホームランといえば11年連続ホームラン王の王選手がいました。その王選手の前で田淵幸一選手、打つわ打つわ、1試合3発大きなホームランをかっ飛ばし、1塁ベース近くで王選手が肩を落とす姿を何度もみました。「王が小さくみえるよね。」と話したものでした。時の移ろいを感じたのもその頃でした。

ここにも漫画が登場します。1977年から入団当時に比べ、太ってしまった田淵選手をモチーフとした“がんばれ!!タブチくん!!” いしいひさいちさんの傑作です。

ヒットを打っても足があまりに遅く、1塁でアウトになることがしばしばで、ひどい場合は時間をかけてからアウトにされたり、まだアウトになっていないのに味方にすらアウトと言われる。そのため、“タブラン”(タブチのランニングホームランの略)という新語が生まれました。これは絶対に不可能な事の例えなのです。

Nagashima kun, Tabuchi kun, both were written based on existent star players, here and there making fun of them humorously.

タブチ君の破壊力を目の当たりに見せつけられて、巨人ファンだった私にとって、球場に流れる、そして大観衆の大合唱の六甲おろしは何とも言いようのない複雑な気分でした。

 

「六甲おろし」

六甲颪に颯爽と
蒼天翔ける日輪の
青春の覇気 美わしく
輝く我が名ぞ 阪神タイガース
オウ オウ オウオウ 阪神タイガース
フレ フレフレフレ