この10月より第2土曜日を休診にさせて頂くことにより、自分なりに少し時間ができたので、少しずつ西国三十三所のお寺を巡ることにしました。

今回は滋賀県の大津市にある園城寺(三井寺)・岩間寺、そして源氏物語で有名な石山寺の3カ所をまわりました。まず、天台寺門宗の総本山である園城寺です。

その歴史は672年に起こった古来日本最大の内乱、壬申の乱にまで遡ります。天智天皇の死後、天皇の弟の大海人皇子と天皇の子の大友皇子が天皇の位を巡って争いました。まさに骨肉の戦いが日本を2分するほどの戦争に発展したのです。最終的に反乱者である大海人皇子が勝利し、天武天皇となって天皇中心の強力な政治体制を作り上げていったのです。667年に天智天皇により飛鳥から近江に都が移されて、近江大津京が開かれました。

前述の壬申の乱に敗れた大友皇子の皇子の大友与多王は、父の霊を弔うために“田園城邑”を寄進して、寺を創建し、敵であった天武天皇から園城という勅額を賜ったことが園城寺の始まりとされています。

 三井寺と呼ばれるようになったのは、天智・天武・持統天皇の三帝の誕生の際に御産湯に用いられたという霊泉があり、それに由来するものとのことです。古くから日本四箇の大寺の1つに数えられるだけあって、長等山中腹に広大な敷地を有し、壮観で眼下に琵琶湖が一望されます。

ちなみに壬申の乱に勝利した大海人皇子は再び飛鳥に遷都し、近江大津京はわずか5年で廃都になったのです。

 開祖は智証大師円珍和尚でしたが、円珍が死去してからは円珍門流と慈覚大師円仁門流の対立が激化し、993年円珍門流は比叡山を下り、一斉に三井寺入ります。この時から延暦寺を山門、三井寺を寺門と称し、天台宗は二分されたのです。

その後、両派の対立や源平の争乱、南北朝の争乱等の焼き討ちなど、幾多の法難に遭遇しましたが、知証大師への信仰に支えられた人々によって、その教法は今日に伝えられています。

お寺の静かな佇まいからは、想像できないような波瀾万丈な歴史だったようです。でも、その中から強烈なオーラを感じたのは私だけでしょうか。苦難を乗り越えて不死鳥のように蘇る。三井寺は不死鳥の寺とも呼ばれています。

 

Watching over Lake Biwa, over 1200years, “Phoenix Temple” that has overcome many hardships.

 

布施明さんの歌う「愛は不死鳥」紅白歌合戦ではマントを広げて熱唱して下さいました。