10~20代の私はめちゃくちゃ心配性でした。特に失敗したら一年を棒に振る大学受験、医師国家試験等は合格発表まで、問題を思い起こしては採点して、睡眠不足の毎日でした。

そんな私が医師になる、しかも自分自身の手技・判断が患者さんの命を左右する心臓外科医に。当時(約30年前)の心臓手術の術後管理は心臓外科医がしていました。(現在は麻酔科医がしています。)だから長時間の手術後も息がつけない、特に自分が手術した方が合併症を発症された時は心配で心配で心配で・・・。

そこで私流に対処した方法がボンボンベッドでした。患者さんのベッドでぎっしりの集中治療室、そのベッドの間にあるわずかなスペースにボンボンベッドを置き仮眠をする。看護師さんからはボンボンベッドの先生と言われていました。ああ、いつまでこんな生活?そんなことも私の心臓外科医としての寿命が45歳くらいまでだった一因かもしれません。

さて開業させて頂いてからもこの心配性は続きます。

外来で息が苦しいと訴えられる方、“この薬を処方しますけど、調子が悪かったらここにTEL下さい”と携帯の番号をお教えしていました。そんなこんなで現在まで多くの方々にご来院頂き、感謝感謝です。

話は変わります。水戸黄門という創作物語があります。江戸時代の水戸藩主、徳川光圀の物語です。

その物語の主題歌に「ああ人生に涙あり」があります。人生楽ありゃ苦もあるさ、でも私、自分の医師の人生を振り返って楽はなかったと思うのです。苦、苦、苦・・・。でもなぜ医者をしているの?それは私のおかげでなくても良くなるのが当たり前の方々が私に感謝して下さるのです。“有り難うございます”って。その嬉しさのために私は今まで生きさせて頂いていることを知るのです。

In our lifetime, it is not unusual that pleasure and pain come by turns, with which we must live.