昨日申しました、歩くということはエンドルフィンが脳内から分泌され、気分の落ち込みや不安感を抑えるのに重要な活動なのです。

先日の山本譲二さんの“みちのくひとり旅”の主人公は男女関係のもつれから旅に出ます。“たとえどんなにつめたく別れてもお前が俺には最後の女”そんなこと言われてもなぐさめにならないと思う女性も多いでしょう。少し男性目線かもしれません。

さて時は1689年(元禄2年)、俳人松尾芭蕉が崇拝する西行の500回忌にあたる年に、門人の河合曾良をつれて江戸を発ち、奥州・北陸道を巡りました。その紀行文は1702年「奥の細道」として発刊されたのです。芭蕉が46歳の時でした。全行程2400キロメートル、日数約150日で江戸に戻ってきました。その行程で多い日は1日50キロメートルを歩いたとされます。行く先々で俳句を詠む、そのたくましいイマジネーションの源は歩くことから生まれたのでしょう。

まず、旅に出るときに詠んだ句です。当時の平均寿命は50歳。だから46歳の芭蕉が旅に出るということは、次に帰ってくるかどうかもわからない。その時の別れの様子です。「行春や鳥啼き魚の目は泪」つまり、鳥も魚も全員が別れを惜しんでいる。その後旅は続くのです。日光・黒羽・白河関・須賀川・飯坂、そして仙台へ。日本三景の1つに数えられる松島ではその美しい風景に感動するあまり句を詠めず、曾良が詠んだ句、「松島や鶴に身をかれほととぎす」が奥の細道に収載されています。

そして奥の細道の折り返し地点、岩手県平泉で詠んだ歌、これは有名です。平泉は平安時代に奥州藤原氏が繁栄を築いた地なのです。源義経が兄の頼朝に追われ、藤原氏のもとに身を寄せます。そして義経最期の場所となったのです。それから500年の月日が経ち、芭蕉がこの場所から辺りを見回すと、かつての藤原家の栄華の痕跡は跡形もなかった。ただ夏草が青々と生い茂る風景を目の当たりにして、全ては短い夢のようだったと人の世の儚さを詠んでいるのです。「夏草や兵どもが夢の跡」

さて仙台城(青葉城)は、1602年伊達政宗によって完成されました。現在は城は消失し、仙台城跡として観光名所になっています。芭蕉の目にはこの城はどんな風にうつったのでしょうか?

 

Travel by walking to various places you haven’t seen yet produce usually unimaginable imaginations.

 

さとう宗幸さんの「青葉城恋唄」です。

広瀬川流れる岸辺 想い出は帰らず
早瀬踊る光に揺れていた君の瞳

季節(とき)はめぐりまた夏が来て
あの日と同じ流れの岸
瀬音ゆかしき杜の都 あの人はもういない