様々な問題を起こしましたが、大相撲史上数々の輝かしい記録を残した横綱白鵬が引退を発表しました。

Hakuho to end sumo’s most successful career at the age of 36. (Japan News)

15才でモンゴルから異国の地に、そこから鍛錬を続けトップにまで上り詰めたことには敬意を表さずにはいられません。

最近の子供たちは相撲にあまり興味を示さなくなりました。私の子供の頃は、子供たちに人気のあるものの代名詞として“巨人・大鵬・卵焼き”が流行語となりました。

この音楽の生みの親は作家で後に経済企画庁長官も務められた堺屋太一さんとされます。経済報告の記者会見の席で“子供たちはみんな、巨人・大鵬・卵焼きが好き”と話して広まりました。

昭和30年前半の後楽園球場に巨人・阪神戦の観戦に祖父に連れられて行きました。5万人の大観衆、ナイター開始前の午後5時半頃、大歓声があがる。その時大相撲の千秋楽の結びの一番で、栃錦・若乃花戦で優勝者が決まった瞬間でした。どっちが勝ったか覚えていませんけど。みんな野球観戦をしながらトランジスタラジオで大相撲の放送を聴いていたのです。ON砲のいる巨人、栃若時代の大相撲、日本中が熱狂していた時代でした。

そして、もう一人の英雄がいました。大相撲の関脇から転身しプロレスラーになった力道山でした。なかでも必殺空手チョップは圧巻でした。屋根瓦7枚を重ねて叩き割る威力、ロープから跳ね返ってきた相手の喉元に必殺の一撃、力道山はフィニッシュの技として使っていました。でも、空手チョップの威力が半減する相手がいました。それはジェス・オルテガ、193㎝145㎏の大型レスラーで別名メキシコの狂える巨象と呼ばれていました。

力道山の空手チョップを受け、ウォーと吠え仁王立ち、さらにもう一撃でウォーとますます仁王立ち、そして三発目に後方にバタンと倒れ、マットが大揺れする。ショー的要素もかなり強いシーンでした。

 

そして力道山のもとで、プロレスの修行を続けるスポーツ万能の少年、大東太がチャンピオンを目指すテレビドラマもありました。それには、力道山自身も出演していました。