旧制高等学校って何?よく分かりませんが、私の母校武蔵高校もそうだったようです。旧制高等学校は最終的には全国に39校でしたが、その中でナンバースクールっていうのがあったのです。

明治期に創設された旧制一高から旧制八高までは、政官界に卒業生を早く送り込んで後発の学校よりも優位にたったため、他と区別するために特別にナンバースクールと呼ばれたのです。

第一高等学校は東京に、後の東京大学、第三高等学校は京都に、後の京都大学、第五高等学校は熊本に、後の熊本大学、第七高等学校は鹿児島に、後の鹿児島大学、私の祖父・父から詳しいことを聞いたわけではありません。でも祖父は京都出身なのに第七高等学校に、父は広島出身なのに第五高等学校に。親元を離れ遠い遠い地で学びました。私の家系には早くから親元を離れるのがよしという遺伝子があったのかもしれません。だから私は東京の大学にという親の願いを断ち切って神戸に来ました。

父の出身の第五高等学校は熊本にありました。あの文豪夏目漱石が英語の教師として明治29年から36年まで在職していました。そして池田勇人元首相と第五高等学校の同窓会に子供の頃に参加して握手をして、小学校で自慢していました。(大したことないか?)

英国人ラフガディオ・ハーン氏 明治24年第五高等学校に赴任し、英語とラテン語の授業を担当しました。その後、日本に帰化して小泉八雲と名乗り、「心」等数多くの名作を残しました。五高で行った講演「極東の将来」の示唆に富んだ文章は、熊本大学構内の碑に刻まれています。

The future of greatness of Japan will depend on the preservation of that Kyusyu or Kumamoto spirit, the love of what is plain and good and simple, and the hatred of useless luxury and extravagance in life.(Lafcadio Hearn, January 27,1894)

1964年9月28日、琵琶湖大橋が開通しました。みなさんゆっくり走行して下さい。60キロ以下で。路面に深さや間隔の異なる溝を刻み、その溝を車両のタイヤが接触した時に生じる走行音がメロディーになって聞こえる仕組みになっています。その曲が「琵琶湖周航の歌」なのです。この歌は第三高等学校のボート部の部員の間で歌われていました。加藤登紀子さんの歌でヒットしました。