今の我が国、自公与党一強で、政治は安定?と思いきやそうともいえないと思うのです。まず自民党最大派閥のリーダーが失われました。そこから何がおこるのか?私の勝手な想像ですけど、室町時代末期の応仁の乱に思いを馳せざるを得ません。時は1467年です。日本最大の内乱と言われる応仁の乱が勃発します。室町幕府の8代将軍、足利義政の後継者争いを発端として全国の守護大名が2つに分かれ戦った争いでした。京の都が舞台となり、11年間も続きました。結果的に誰も勝者とならず、京の都は全面焼け野原、そして戦国時代へと突入します。いわば無駄な戦いだったのです。だから応仁の乱の起こった1467年を覚えるために“人の世むなし”という語呂合わせで年号を覚えた人もいます。

この乱をきっかけに日本各地で戦乱が恒常化するようになります。各地で守護同士の利害がぶつかり合い、権威を失った国王が家臣に殺されるなど、下剋上が当たり前の時代になっていくのです。幕府のリーダーが弱体化し、ぐだぐだの戦乱が続き、国が生まれ変わっていく。私達は今の日本、一度チャラになって生まれ変わっていくことに期待する方がいいかもしれません。

さて歴史を振り返って、応仁の乱の功の部分はあるのでしょうか?
米国の国際政治学者サミュエル・ハンチントン氏は名著「文明の衝突と世界秩序の再創造」の中で、日本文明を“一国で成立する主観的な自己認識を持つ孤立文明”と取り上げています。もしかしたら日本文明の確立に一役を担っているのは応仁の乱かも。

The Japan Newsからです。日本は応仁の乱で根本的に変わった。乱の前は、日本は他の国の歴史となんら変わるところはなく、むしろ中国色が強かった。乱の後は中国からの強い影響から解放され、今の日本になってきたと。15世紀までは日本人は木の床に座っていた。乱の後は畳が広がり、そして千利休による佗茶が完成したのです。
それでも日本のいいところは、やはり中国からも文化を受け入れる。明末清初の禅宗の僧、隠元は日本黄檗宗の祖で、宇治の地に黄檗山万福寺を創設しました。そして、私達が多く飲んでいる煎茶も中国からもたらされました。

Sencha tea has roots in Buddhist sect from China
Japan radically changed after the Onin War(1467-77)
Before that war, he said he couldn’t feel that Japan was different from the history of any other country. What he meant was that after the war, Japan freed itself of the powerful influence from China and be came Japan as we know it today.
(The Japan News)

歴史が教えてくれるもの、私達は一国で成立する主観的なアイデンティティを持ち、他国の文明を学びながら、外交で物事を解消していく、それが全てかなと思うのです。
都はるみさんの歌「千年の古都」です。夢は老いることなく悠久のまま、その悠久の千年に京の都ではいろいろなことがあったんです。