江戸時代中期に書かれた書物に「葉隠(はがくれ)」というのがあります。佐賀鍋島藩士(山本常朝)の人生訓を綴ったものなのです。
葉隠からはその強烈な死生観が読み取れますが、武士道美学を追究したものでもあります。その名言の一つに“武士たる物は武勇に大高慢をなし 死狂ひの覚悟が肝要なり”があります。武士道は謙譲をもって美徳とし、高慢であることを強く戒めた。しかし例外もあり、“惣じて修行は大高慢でなければ、益に立たず候” さらに“大高慢にて吾は日本無双の勇士と思はねば、武勇を顕わすこと成りがたし”と常朝は諭しています。
だから政権をとるということも高慢がなければならないのかもしれません。それゆえにどんな政権でも光と影があるのは理解します。でも一人の政治家を悼むことと影の部分を消していくこととは別物と思うのです。
時代は遡って1789年のフランス革命です。王政と旧体制が崩壊、封建的特権は撤廃され、近代的所有権が確立、革命の結果による固有財産の所有権の移動が追認されたのです。そしてナポレオン・ボナパルトの台頭です。
ドイツの偉大な作曲家ベートーベンは1789年のフランス革命に大変熱狂しました。革命により、音楽にも新時代が到来すると、フリーランスの芸術家として生きることを志します。ナポレオンは革命後の動乱を収拾し、自由・平等という革命の理念をヨーロッパ中に広げようと力を尽くします。それに感銘を受けたベートーベンは、“ボナパルト”と題する交響曲を作曲し、ナポレオンに献星しようと思い立ち、1803年に完成します。それが今、交響曲第3番“英雄”として知られる曲です。ところが翌1804年ナポレオンが自ら皇帝に即位してしまいます。その知らせをきいたベートーベンは「あいつは今に暴君になるのだ!」と激怒し、書き上げた自筆の総譜の表紙にあったナポレオンの名をペンで書き消してしまいました。
結局ナポレオンへの献星や題名は幻と消え、“シンフォニア・エロイカ”と改題され、“ある英雄の思い出のために”と表紙に新しく書き加えられ、1806年に出版されました。
私も車の中で好んで聴いていたこの屈指の名曲、フランス革命から十数年、ベートーベンは音楽で革命を起こしたのです。ヘルベルト・フォン・カラヤンが絶妙に伝えてくれました。
人は頂上までのぼり詰めると、それに対しての批判も多くなる。影の部分、しっかり検証していくことが重要だと思うのです。歴史から学ぶということですよね。本日はいつもの昭和歌謡ではなく、交響曲第3番を紹介させて頂きました。
To deify a national leader might lead his or her country to be divided into two.