これだけ技術が進んだ今でも、半永久的に使える人工心臓はまだ出来ていない。体内に移植すると異物なので感染しやすい、血栓ができやすい等の問題をまだ克服できていないのです。だから重症の心疾患の治療には今は心臓移植しかないのです。これから再生医療等の出現に期待しましょう。

移植手術というもの、未だに私達を複雑な気持ちにさせるのです。まず、脳死です。脳幹を含む脳全体の機能が失われ、自発呼吸が出来ないので人工呼吸器がなければ生きられない状態で脳波はフラットになります。

欧米では以前より脳死を人の死とみなしているので、移植に対して何の抵抗もなく受け入れられていますが、日本では脳死を移植手術を前提とした時のみ認めることにしています。だから医療者も一般人もすんなり受け入れにくいのです。

そして日本で心臓移植が遅れている大きな理由は?

まず移植手術はドナーという一人の生命の犠牲の上に成り立ちます。だから和田移植が社会問題になったのです。1968年8月、札幌医大胸部外科の和田寿郎教授によって行われた日本初の心臓移植は当初こそ輝くべき医療の先鞭として大いにもてはやされましたが、移植後83日目にレシピエントが死亡した後、様々な問題が噴出し、殺人罪で告訴されるまでに至りました。脳死判定と移植手術を同じ医師が行ったこと、脳波をとった証拠が存在しない、レシピエントの治療が心臓移植以外の方法で救命できなかったのか等の問題です。

最終的に証拠不十分で不起訴処分となったが、その後の日本の心臓移植に大きな足かせとなり、移植医療が遅れることになったのです。

そして日本で心臓移植を受けたい人が多額の寄付金を募り、次々と海を渡り移植を受ける状況が続きました。1980年頃から国内での心臓移植再開の機運がおこり、ガイドラインの制定も始まります。そんな時、1985年米国カリフォルニア州アナハイムのディズニーランドのホテルで開催された国際心臓移植学会に参加させて頂く機会を得ました。その旅程の中で教授に推薦状を書いて頂いて、当時心臓移植の第一人者であられたシャムウェイ教授のおられるスタンフォード大学に約1週間滞在、見学させて頂きました。

ドナーが出る、心臓チーム・肝臓チーム・腎臓チームが来て、それぞれの臓器を摘出する。その場合、心臓が動いている間に肝臓・腎臓が摘出されるので、心臓が1番最後になる。外では号泣されている御家族、そのドナーは交通事故死でした。一見華やかにみえる心臓移植のうちには、こんな悲しい現実があるのです。

スタンフォード大学は、サンフランシスコから電車で約1時間のところにあり、帰国前に名所のゴールデンゲートブリッジ等を観光してきました。そしてケーブルカーも・・・。

 

文字通り私のハートは今もサンフランシスコにあります。