再び大竹しのぶさんです。葉加瀬太郎音楽祭2020にゲストとして出演されました。トークを交えながら数曲歌われました。やみそうでやまない雨に空を見上げながら「やんで!」「やんだ?やった!」と茶目っ気たっぷりのトークでした。そして歌は?昨日紹介させて頂いた「死んだ男の残したものは」の他、最後の2曲はシャンソンでした。

私の好きなシャンソン、有名なシャンソン歌手エディット・ピアフ、イヴ・モンタンの歌を歌いたいがためにフランス語を勉強したことがあります。なかでもピアフ、伝統的な歌手といっても過言ではありません。フランスの象徴でもあり、2007年にはフランス制作の伝記映画エディット・ピアフの生涯を描いた「エディット・ピアフ~愛の讃歌~」が公開されています。47年間の短い人生でしたが、それはそれは波乱に満ちたものでした。

バリの貧困地区で生まれ、でも母・祖母には育児を拒否され、その後父親の母の営んでいた売春宿で育てられる。16歳で御用聞きの少年ルイ・デュポンの恋に落ち、女の子を産むも、2年後に小児髄膜炎で失う。歌手生活が始まるのはナイトクラブのオーナー、ルイ・ルプレーによって見出され、彼の店で歌うようになってからです。

ピアフの父親代わりでもあったルプレーは殺害され、ピアフはその共犯者と告発されるが無罪とされる。

ピアフの生涯の大恋愛はプロボクサーのマルセル・セルダンとのものであるが、セルダンは1949年10月28日飛行機事故死している。その翌年、大ヒット曲「愛の讃歌」が発売されたのです。

1951年ピアフは自動車事故にあい、その後深刻なモルヒネ中毒に苦しんだのです。そして晩年、テオ・サラポと結婚する。サラポはピアフより20歳も若かったが、ピアフの大ファンであったことが昂じて交際するようになったのです。夫であるサラポはピアフの死後、妻の残した多額の借金を独力で全て返済しています。そしてピアフはリヴィエラで癌で死去しました。

ピアフとは仏語でスズメ、意外と小柄で小さなスズメと呼ばれていました。逆境の中でも大きな大きな存在であった彼女、生まれ変わってももう一度同じ人生でありたいような昏を話されていたようです。

大竹しのぶさんに戻ります。このピアフの人生を書き下ろしたパム・ジェムス作の戯曲が日本版で実現したのが大竹しのぶさん主演の舞台“ピアフ”でした。そのことに触れられ、歌われたのが「バラ色の人生」「愛の讃歌」でした。ピアフ自身の作詞の「愛の讃歌」、青空が落ちてくるかもしれない 地球がこわれるかもしれない そんなことどうだっていい あなたが私を愛してくれるなら ピアフの激情が感じられる歌ですよね。

 

「愛の讃歌」

Le ciel bleu sur nous peut s’effondrer
Et la terre peut bien s’écrouler,
Peu m’importe si tu m’aimes,
Je me fous du monde entier.

青空が落ちてくるかもしれない
地球が壊れるかもしれない
そんなことはどうだっていい
あなたが私を愛してくれるなら
世の中のことなんてどうでもいいの