ガイドブックに載らない京都の話です。
京都には一風変わった名前の通りや地名が多く残りますが、その中でもとびっきり気になる存在が“天使突抜(てんしつきぬけ)”です。
京都の下京区の五条通の近くにある所で、辺りは小さな寺院が点在しています。“天使突抜”と呼ばれるようになったのには松原通にある“五條天神宮”が大きく関係しています。五條天神宮は平安遷都の際に桓武天皇の命により、弘法大師・空海によってこの地に勧請されたと伝えられる古社で天使社と呼ばれてきました。少彦名命(すくなひこなのみこと)などが祭神で、神の使いとして地上に降りてきたとされ、ゆえに天使と呼ばれているのです。

五條天神宮

現在の日本で天使といえば、キリスト教のエンジェルのことを指し、やや違和感があります。そして死後神格化された平安時代の貴族・学者・漢詩人・政治家の管原道真公もまつられています。現在の学問の神として親しまれている人です。

さて、争乱の戦国時代を勝ち抜き、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は1591年応仁の乱で荒廃した京都の都市改造の一環として、外敵の襲来に備える防塁と川の氾濫から守る堤防として京都市街地の周囲23キロに渡って御土居(おどい)という土塁を築きました。“上京と下京をまとめて一つの都市にしてしまえ”という事でした。

当時、上京は屋敷の立ち並ぶ富裕のものが集まる地、下京は商業街区であり民衆の町でした。伏見を政治の中心にしたかった秀吉は、下京側に活気を持ってくるため、また人口の少ない地区に新しく区画を設けるために上京から下京へ何本かの大きな通りを通しました。そうして作られた上京-下京間の新たな通りを突抜と呼びました。そしてその通りの一つを作る時に途中にあったのが、古くからの神がまつられている由緒ある神社“五條天神宮”でした。天使様と呼ばれ、当時の人々に親しまれていたのですが、道を境内に無理矢理通してしまったため“天使様を突き抜けてまで道をつくるのか”と怒り、皮肉の意味をこめて天使突抜と名付けられました。
秀吉は現在の愛知県の生まれですから、当時京都と何の関わりもない外界の人間のくせに、京都を大規模に変えてしまったため、京都の人々には嫌われていたようです。でも幼名は日吉丸と呼ばれ、それから斬新な奇策や政治で頭角を現して、幾多の戦いに勝利して天下を統一していったすごい武将です。
秀吉が下足番として織田信長に仕えていた頃、雪の日に信長の草履を懐で温めていたというエピソードがあります。寒い夜だったので、冷えた草履を履くのは嫌だろうと秀吉が気を利かせたという話、こんなところにも出世の秘訣があったのかもしれません。

もしかして外科医もそんなところがあるかも。教授の鞄持ちをしていると出世するとか。“誰か僕の靴を知らないかね” 教授の靴を間違えて履くような私が出世するはずないのです。

さて天使突抜の話に戻ります。
読売新聞のライターの友達、木琴奏者が天使突抜に住んでおられる。彼女が家から離れた高校に入学した時、住所の書かれた書類をみて教師が冗談かと思ったそうです。

A friend of mine, xylophone player Mutsumi Tsuzaki, lives in Tenshitsukinuke. She told me of an incident that happened when she enrolled at a high school that was not near her house. She submitted some paperwork with her address on it and ended up being scolded by the teacher, who thought she was joking.
By Yasuhiko mori
(The Japan News)