「健康365」2月号に再び黒プラチナに関しての記事を掲載して頂きました。最強の抗酸化物質黒プラチナの効果は驚くべきものがあります。
特に今回の90歳男性で間質性肺炎の方、酸素吸入をされながら来院され、黒プラチナを服用して頂いたところ1ヶ月後に酸素がいらなくなったと再来院されました。そして通院されていた病院の医師が、炎症反応が(CRP)が正常になったとわざわざ検査結果の紙に赤線を引いて驚かれていたようです。
雑誌の記事は私を名医として称えて下さっていますが、実は大した実績のない平凡な心臓外科医なのです。
アメリカに行って研修を受けようと思った理由は?それは手術の数が日本と比較して圧倒的に多いということにつきたのです。例えば、私が当時在籍していた神戸大学病院では、定期の心臓手術は週3~4例、それに加えて緊急手術が2~3例で、多い時で週に10例程です。それに対してイリノイ大学附属病院では毎日5~10例が同時進行で行われます。それほどの差でした。だから皆忙しい。猫の手も借りたくなる。だから我が輩は猫でした。
そしてできが良かったからハーバー大学で研修できたのではなく、ただレヴィツキー教授のひっつき虫だっただけです。忙しい教授には迷惑だったかもしれませんね。でも昼間は臨床、夜は動物実験と懸命に働いていたので、その点をある程度評価して下さったのは事実です。
さて2016年、ハーバード大学教授シドニー・レヴィツキー先生の業績を称える晩餐会があり、家族とともに参加させて頂きました。ハーバードクラブで開催されましたが、そこはハーバード大学を卒業し、年会費等を支払っている人のみが使用できる施設なのです。それはそれはゴージャスな雰囲気でした。その時の写真です。
私の後輩でハーバード大学に留学し、その後も米国で活躍されている2人の医師と共にいます。前列右から豊田吉哉先生、そして築部卓郎先生です。お2人とも名医中の名医です。
豊田先生はスーパードクターとしてメディアでも報道され全米一の実力者、築部先生は事情があり日本に帰国されましたが、日本で第一線の心臓外科医として御活躍です。
さて司馬遼太郎さんの長編史小説に「坂の上の雲」というのがあります。明治維新の頃に生まれた主人公たちが、日本を欧米的近代国家にしようと奮闘するその様を“彼らは、そのような時代人としての体質で、前をのみ見つめながら歩く。のぼってゆく坂の上の青い天にもし一朶の白い雲がかがやいているとすれば、それをのみ見つめて坂をのぼってゆくであろう”と例えている。
渡米した時期がすでに30代半ばであった私には、アメリカで厳しいレジデントという病院に住み込みの訓練を受けて心臓外科医となる余力はなかったのです。だから私には両先生が坂を駆け上って雲をつかんだ如くに見える。そして私にとっては断然雲の上の存在なのです。でも、私がハーバード大学に行ったことで、もしかして後輩に留学する道筋を少しでも作ったのであるならば、私のちっぽけなプライドです。
To become a full-fledged cardiac surgeon, we have to get through tough training, therefore I had no choice but to give it up to begin with.