70歳代の生き方がその後の老後に影響すると申し上げました。でも730年程前に生きたすごい人がいました。それは浄土真宗の開祖である親鸞聖人です。80代で全盛期の活躍をされ、多くの人に説法を説き90歳で亡くなられました。先日紹介した金戒光明寺で念仏を唱えた法然上人の愛弟子です。

親鸞を直接知る唯円という人物の手によって書かれたのが「歎異抄」です。歎異抄の書名は異義を嘆くというところからきています。釈徹宗氏著の「仏にわが身をゆだねよ」を大いに参考にさせて頂いています。

親鸞が亡くなった後に、師の教えとは異なる解釈が広まっていることを嘆いた弟子の唯円が、親鸞の意思を伝えようと筆を執って完成させたのがこの書物です。歎異抄は多くの近代知識人を魅了してきました。西田幾太郎は“自分は臨済録と歎異抄さえあれば生きていける”と。

この書物の執筆当時の事情として阿弥陀仏に救いを求めながらも、善い行いをして功德を積む(自力)という考えが各地に広がっていました。しかし、親鸞の浄土仏教の思想の根幹は阿弥陀の本願(他力)によって救われるというものです。法然、親鸞の時代の平安末期から鎌倉時代にかけては、日本の社会構造が大きく変化した時代でした。貴族による摂関政治から武家社会へと転じ、経済事情も法律も変わっていきます。なおかつ大炎や震災、飢饉などの天変地異に人々が苦しんだ時代です。

そんな中、法然が説いた平易な念仏の道筋はあらゆる階層の人々の間に広まっていきます。“阿弥陀仏の本願によって誰でも浄土に往生できる。厳しい授業などできない凡人は、仏の名を称えよ。(称名念仏)”シンプルで誰でも実践できる“易行”であることがおおきなポイントです。

一方親鸞は法然という師に出会わなければ花を咲かせられなかった。なにせ20年間も比叡山で修行をしながら、まだ悩み続けていた人なのです。そして親鸞は法然の教えを受けて家庭を持って暮らしました。そして家庭を持ったがゆえの苦悩にもさらされました。世俗にまみれ、泥中を這うような生活の中から、後の浄土真宗の礎となるものを立ち上げていくのです。

さて、歎異抄の第三条の分は有名です。悪人こそが救われる!“善人でさえ浄土に往生することができるのです。まして悪人は言うまでもありません。ところが世間の人は普通、「悪人でさえ往生するのだから、まして善人はいうまでもない」といいます。”

親鸞のいう善人は“自分で納めた善によって往生する人”を意味している。すなわち、彼らは仏に全てをお任せしようとする「他力」の心が希薄で、自分の修行や善根によってどうにかなると思っています。そうした自分の心を持つ人であっても仏は救ってくれます。

次に悪人ですが、“煩悩具足の我ら”とも言い換えられます。あらゆる煩悩を備えている私たちは、どんな修行を実践しても迷いの世界から離れられません。阿弥陀仏はそれを哀れに思って本願を起こした、悪人を救うための仏です。だからその仏に頼る私たち悪人こそが、浄土に往生させて頂く因をもつということなのです。解釈を広げると仏の目から見れば全てが悪人です。しかし、自分自身は善人だと思っている人間の傲慢さはどうなのか?すなわち自分自身の中にある悪への自覚に関する問題です。

Shinran preached that everyone could pass away peacefully and go to heaven by simply chanting the name of Buddha.

話は変わりますが、2人の恋人が別れる時、仏さんの眼からみればどっちも悪いということになるのでしょうか?