最近しょっちゅう起こること、若い頃にはなかったことです。夜お酒を飲む、途中から記憶が全くなくなるのです。気づいたら朝、さあ仕事頑張ろう、そんな感じです。
最近少し気になります。こんなことを繰り返していたら認知症になるのでは?と。医学的に酒と認知症の関係はまだ明らかになっていません。認知症に一番関係するとされる脳の部分は海馬というところです。情報を短期記憶として保存し、長期記憶にしたい情報を大脳に送り込む役割があります。アルコールは一時的に海馬を麻痺させる。でも私の場合、長期記憶は大丈夫かな。だから情報のインプットをストップさせる段階で留まってくれている。そんな風にいいように解釈しています。
意識のある間は考えている、そして意識の中に私がいる、だから飲んで意識がなくなる、そして眠る、生きている限りは朝意識が戻ってくる。だから同じ私に帰って、また日常に戻るのです。 養老孟子著「遺言。」
そして認知機能を維持するのに大切なこと、考えることです。17世紀のフランスの思想家パスカルの言葉“人間は考える葦である”人間は無に等しく、一茎の葦のごとく弱く、悲惨な存在に過ぎないがそれは考える葦であり、思考によって宇宙を包むことが出来る。ここに人間の尊厳と偉大さがある。
意識のあるなしを繰り返しながら、自分も周りも変わっていく。今一番恐ろしいことは、見えないところでウイルスも変わっていく。再び養老先生、鴨長明の方丈記です。行く河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。鴨川は今でも京都の町を流れている。でも流れている水は常に違う、いわば鴨川(という名称)は時間の中で止まっているのだが、その実質である水はひたすら入れ替わる。ヒトも町も同じですよ。
現代医学では、身体は7年で物質的には完全に入れ替わるという。ならば私はいつも同じ自分であるようですが、すでに9回半入れ替わっていることになります。
自分、周りの人々の環境は自然とともに常に移ろっている。その感性をもって生きていきたいものです。
Man is a thinking reed.