昭和62年4月頃のことでした。「中村君、明日教授室に来てくれたまえ」私の恩師中村和夫教授からのお言葉でした。当時、大学の医局は山崎豊子さんの“白い巨塔”で描写されているように、教授の権力が絶対の時代でした。あまりいいことは考えません。また僻地に異動させられるのかなとか、そわそわした気持ちになり、ある程度覚悟を決めていました。
そして、次の日です。「僕の親友のシドニーから連絡があり、リサーチフェローを募集していると。君に行ってもらおうかと思っている」教授から聞いた初めての良いニュースでした。そしてすでにお話しした通り、米国留学が実現したのです。
そして、米国でもシドニー・レヴィツキ―先生にかわいがって頂きました。「カズオは非常に優秀で、人間的にも完璧だ。ヒロオミもカズオの後を継ぐ素質を持っている」一向に結果の出ない私に対し、厳しいながらも優しい眼差しで見守って下さいました。
そして2年半の研修の後、臨床的にも研究的にもやり尽したという思いで帰国した私ですが、やはり心臓手術となると何かが違います。ほんの数ミリ手が滑っただけでその方の命に係わるのです。そして公立病院で心臓手術を任せられる立場になるそのタイミングで、中村教授が退官されました。でも、やはり依存心が強かったのでしょう。私の自信が曖昧な手術がある時、「先生、ちょっと難しい手術があります。来て頂けますか?」そういう期間が1年続きました。その間に中村元教授のお体に変化がおきます。不治の病を患われていたのです。そしてその日が来ます。弁疾患の手術、石灰化し極度に変形した大動脈弁、メス・はさみで切り取れるレベルではない。その手術中、先生は咳き込まれ、息苦しくなり座りこまれました。その石灰化を砕いていく最中、私は先生に聞きました。「先生、ここ切ってもいいですか」それに対する先生のお答えです。「中村君、これからは君が全責任を負うんだから、自分の判断でしなさい!」そこで私は目が覚めました。その数か月後、先生は帰らぬ人となります。先生が人生の最期の時まで、愛情を持って指導して下さった私は本当に幸せ者です。
そのお言葉を糧に、その後の医療で難しい局面にぶつかる度に乗り越えてきたつもりです。今でも時は止まっています。先生本当にありがとうございます、です。
It should be blissful that I have trustworthy mentors in my lifetime.